カルチャーリポーター
   
 

 

ico-report01蘇る古都を見つけよう

奈良公園奈良は日本の観光地の一つで、修学旅行生や海外からの観光客で賑わっている。ならまちでの案内業務を終え、帰宅途中の土産物店が並ぶ通りでは、楽しそうに買い物をする修学旅行生がいた。奈良と言えば、神社仏閣を見に行くもの。悠久の古都と思われていることだろう。しかし、時空を越えたアートの祭典に携わり、絶えずに変わりゆく街を発見した。
観光客が、まず行くのは、奈良の大仏さまがいる東大寺、時間が余れば興福寺と春日大社に寄るというのが一般的だろう。この寺社仏閣を囲む奈良公園で鹿と遊び時がゆっくりと流れるように感じるのでは。この歴史公園こそ、姿を時の流れとともに姿を変えてきた場所である。かつてここには、お堂が並び、戦火で焼けては復興してきた場所で、今では、行楽客の憩いの場である。この広い一帯に政治などに強い影響を与えた寺があったとすれば、そこに仕えるたくさんの人がいたことになる。その人々が暮らしていたところが、ならまちである。
 
 
まず、紹介するのは、今西家書院。ここは、700年以上前の室町時代に興福寺の役人が使っていた館である。特徴は、身分によって入り口が違うこと、床の高さが違うことである。庭があり、茶室がある。この時代、中国から伝わった茶は、客のもてなしとして、茶室に運ばれたのだろうか? 庭には、「生を知らず」「死を知らず」の相反する言葉が光のように浮き上がっていた。茶室の床の間には、「君が咲く」の文字が花とともに飾れていた。そして「独」という文字が隅で立っていた。生死はいかなる身分でも避けられないものである。また、歴史ある館で鑑賞する「君が咲く」「独」という文字は、自分らしく生きる、自分を信じる、一人から始まるなど、不変のメッセージに感じた。筆で書かれた強弱、太細の文字は、紙から飛び出し、言葉の持つ意味を光となり影となって不変のテーマとして現れたように感じた。
 

  • 今西家の書院
  • 茶室
  • 独

report03-05次は、陰陽町にある鎮宅霊符神社を紹介する。ここには、空を見て暦を作っていた陰陽師が住んでいたという。作品を作るために提供された古着から取ったボタンを集めて作った「ボタンの雨」が展示されていた。神社の入り口で受付をしながら、鑑賞者に「なんだと思いますか」と聞いたところ「キャンディー」「お金」「干し柿」「貝殻」などとあがった。「地域の皆さんの協力で古着を集め、ボタンの雨を作りました。使われているボタンの数は5000個以上です」と説明すると「ボタンは服を買うごとに増えていき、使わないまま貯まっていくから、作品になれば、有効に使えたことになる」の意見には、ボタンは服につけるものだけでなく、別の発想でファッションとして活用できるのだと思った。陰陽師を祀る神社に奉納された「ボタンの雨」。この付近は、住宅地となり、夜に星を眺めて暦を作る人はいない。
 
 
今回は、今西家書院と鎮宅霊符神社を紹介した。陰陽師は1000年以上前からここにいた。それを伝えるのが町の名前である。お寺というのが職場であった、それに携わる人がいたと伝えるのが館である。現在のならまちは、住宅が並び、古民家を再利用した雑貨店やカフェがあり、古都の名残がある観光地である。威厳のある場所は和やかな場所になっている。訪れた人には、まちで繰り広げられるインスタレーションと共に、蘇る古い街並みを楽しんでほしい。
 
カルチャーリポーター:山下元代