カルチャーリポーター
   
 

 

ico-report01特別展「呉越国 ―西湖に育まれた文化の精粋―」
(「東アジア文化都市2016奈良市」広報連携事業)をみて 1

I.はじめに
 2016年10月8日~11月13日までの間、奈良県奈良市にある大和文華館にて、特別展「呉越国 ―西湖に育まれた文化の精粋―」が開催されていた。このレポートでは、この特別展にて私が感じたことを踏まえながら、日本と中国、特に呉越国と8~9世紀の日本を2回に分けて紹介したいと思う。
 
II.呉越国と日本
 呉越国(907~978年)は最初の王、銭鏐から三世代五人の王で百年近く平穏な国を治めていた。商業も栄え、絹織物、玉製品、緻密で高度な技術の金属工芸、印刷が盛んで、これらの技術も国内で独自に発展してきたものである。それに加え、資源に恵まれていたことから陶器などを大量に生産することができたので、シルクロードを介して、西はヨーロッパ、東は日本に輸出していた。また仏教の信仰にも篤く、海に面していたことにも含め、日本や朝鮮半島の高麗、中国北方の遼と仏教を通して交流が行われていた。他にも、多くの寺院や仏塔が建てられ、現在にも建造されているものもいくつかある。
 
呉越国があった時代、10世紀の日本は平安時代(794~1192年)の中期にあたる。894年に遣唐使が廃止されて、日本独自の文化(国風文化)が創り出された時代でもあり、のちに平家と称される一族が日本各地で内戦を起こしていた時代でもあった。このころ文化界では清少納言の枕草子や紫式部の源氏物語、多数の和歌が生まれ、それを作っていた貴族は優雅な生活を送っていた。それに対し、農民や庶民は重い税に苦しみ、それにより国家財政を維持することが難しくなり、律令体制が崩れ始めていく時代でもある。そのようなことも含め、中国で修業をし、帰ってきた空海や最澄がひらいた真言宗や天台宗など、多くの宗教が日本で広まり、信仰する人が増えた。
 
III.さいごに
 どちらの国も文化活動に栄え、そして仏教などの宗教の信仰が強い時代であった。日本の教科書には「遣唐使が廃止された。」と習えば、中国との交流は途絶えたのかと思われるが、そうではない。2枚目でも述べるが、呉越からの商人が日本の銭を持ち帰っていたり、また、呉越の時代の白磁器や青磁器が福岡県などで多く見つかっている。この時期は自国の文化を磨き、それらを互いに認め合っていたのではないかと考える。
 
 
カルチャーリポーター:岡本紗季