カルチャーリポーター
   
 

 

ico-report01特別展「呉越国 ―西湖に育まれた文化の精粋―」
(「東アジア文化都市2016奈良市」広報連携事業)をみて 2

I.はじめに
 2016年10月8日~11月13日までの間、奈良県奈良市にある大和文華館にて、特別展「呉越国 ―西湖に育まれた文化の精粋―」が開催されていた。このレポートでは、この特別展にて私が感じたことを踏まえながら、日本と中国、特に呉越国と8~9世紀の日本を2回に分けて紹介したいと思う。
 
II.銭弘俶と聖武天皇
 ここでは時代は異なる二人を取り上げる。10世紀の半ばの呉越国最後の王、銭弘俶と奈良時代(8世紀)の聖武天皇の二人である。この二人には大きな共通点がある。それは「仏教の信仰によって、国の平安を願った」ということである。というのも杭州市の西湖南岸にある雷峰塔という仏塔から出土したものの中に「華厳経跋(けごんきょうばつ)」という華厳宗の経本のあとがきが発見された。そこには、「自身(銭弘俶)は国王という立場にあって仏教への信仰によって国を保ってきた。」と書かれていた。発見された雷峰塔は国と城を見渡せられる位置にあり、ここで銭弘俶は呉越国の行く末を案じたと思われる。一方の日本の聖武天皇も当時の都にて災害や疫病の患者が多発し、また干ばつのため国内で飢餓が続き、それに愁いたため、東大寺に盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)を建立した。二人は国の中でトップの立場であり、混乱している国内の人々を自らの手で仏に懇願し、少しでも救おうとする姿勢があった。
 
III.さいごに
 雷峰塔から発見されたもののもう一つに「饒益神法 銅銭」というのがある。饒益とは仏語で慈悲の心を持って衆生に恵みを与えるという意味で、この銅銭は日本で作られた。しかし日本ではあまり見つかっておらず、日本に訪れた呉越国の商人が持ち帰ったとされている。この銅銭を見た銭弘俶は深く感銘を受けたされている。ここで私は、銭弘俶はこの銅銭を見たとき、日本に興味を持ち、日本を深く知ろうとしたのではないかと考える。そこで、聖武天皇や廬舎那仏のことを知り、時には仏の力を借りようと考えようと思ったのではないか。そうであるならば、見えない中にも日本と呉越国は深くつながっているように感じられる。
 
 
カルチャーリポーター:岡本紗季