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ico-report011300年の歴史を経て現在まで伝わった「奈良墨」の歴史について

 中国、朝鮮半島から伝わったもので、奈良で現在も残っている伝統産業のひとつに「墨づくり」を挙げることができる。1300年にもわたり受け継がれてきた墨づくりの伝統は、日本の仏教文化の隆盛と共に発展し、日本の国づくりにも深い影響を与えてきた。当レポートでは、この中国発祥の墨づくりの文化が朝鮮半島を通り日本に伝わり、奈良の地でどのように発展してきたのかを奈良墨の老舗、喜壽園と墨運堂へ取材した話をベースに書いていこうと思う。
 
 墨の起こりは2000年前の中国、漢の時代にあるとされている。墨がいつ頃日本に伝来したのかという正確な時期は判明していないが、墨に関する現存する最古の記録によると、「推古天皇の18年春3月、高麗王。僧曇徴よく紙墨をつくる」と記されている(『日本書記』より)。つまり、飛鳥時代の推古天皇の時代(610年)に朝鮮半島の高麗の僧である曇徴が、紙と墨づくりの技法を日本にもたらしたとされている。当初の墨はほとんどが中国や朝鮮半島からの輸入品であり、現存する最古の輸入された墨が正倉院に保管されている。そこからも、奈良は中国、朝鮮半島の墨と昔からゆかりがあったことがわかる。
 
 本格的に墨づくりが日本で行われるようになるのは、仏教文化が日本で興るようになってからである。推古天皇が仏教を基盤とした国づくりを行い、学問の中心地であった寺院で、墨が写経のために必要不可欠なものとなった。急激な墨の需要の上昇で、都に近く、数多くの寺院が密集している奈良を中心に寺院で墨づくりが行われるようになった。仏教文化と共に栄えた墨づくりの文化は、日本の天平文化が花開くのを支え、平城京の跡地からも墨で書かれた多数の木簡や墨書土器が発掘されており、奈良で墨が盛んに使われていたことを示している。
 
 室町の時代になるとそれまでの松を燃やして作る墨と違い、油を燃やして作る「油煙墨」が主流となる。油は当時貴重品であり、容易に取得できなかったが、奈良の興福寺が灯明に使う胡麻油を手にしていたので、興福寺の二諦坊で墨づくりが行われ、その品質の良さが全国的に知られるようになった。江戸時代には、墨といえば奈良の「南都油煙」だといわれるほど全国的に人気となった。油を使って作る煤は、松とは異なり、煤のきめが非常に細かく、不純物がなく、色合いが非常に濃く品質的に優れていたため高く評価された。この油煙墨が現在の奈良墨である。江戸時代には各地で墨づくりが行われるようになったが、実績のある奈良に優秀な職人が多く集まっており、現在の奈良で伝統産業として残っており、奈良の固形墨は全国シェアに95%を占めるまでになっている。
墨は1000年以上墨跡が残るという優れた特性を持っているため、中国や朝鮮半島からの墨の伝来によって数多くの墨で書かれた文献が残った。これらの文献は過去の日本を知る重要な手がかりであり、その墨を作っていた奈良の地が今も、墨づくりの伝統を守って今に伝えている。
 
 
参考文献
奈良製墨組合「墨を知る 奈良墨の今 ~未来につなぐ伝統を守るために~」文化庁 文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業
綿谷正之「墨の文化史 概説」http://www.shirafuji.ac.jp/gakuin/school/vol16/NarahoikuBulletin16-1_Watatani.pdf (最終観覧日:2016年10月23日)
松井茂雄1983『The 墨――墨は生きている』日貿出版社
奈良製墨組合のご紹介
http://www.sumi-nara.or.jp/index2.html(最終観覧日:2016年10月23日)
 
 
カルチャーリポーター:出口栄美