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ico-report01古代瓦の華は咲くNo.1 「三国の文化交流の証・元興寺の瓦と蓮華紋」

古代瓦には、日中韓三国の文化交流の足跡が詰まっている。
日本の歴史を紐解くと国家の形成に始まり、瓦に、酒、墨筆も、たいてい奈良が起源となる。さすが“日本人の心のふるさと”奈良である。中でも瓦は1400年前の飛鳥時代より現在にその姿を残し、現役で活躍をしているものもある。
ならまちの元興寺行基葺で有名な瓦の一部こそ、飛鳥、奈良時代そのままの姿である。
ちょうどコトホグナラの会期前後にあたる8~9月、期間限定で古代瓦の特別見学を実施、極楽堂と禅室の間に高さ3.8mの足場を組んで公開された。私ももちろん・・・と言いたいところ、実は予定していた日に限って雨が降り見学できなかった。雨天は足場に入れない、のちの人生のうちに目の高さで見学できることはまずない機会だった、ちょっとした古代瓦フリークの私には残念な日。後日改めて、境内の行基葺ビュースポットを教えてくれるユニークな看板どおり、1400歳の瓦達を尊敬のまなざしでしっかり見上げた。実はこの日、コトホグナラの会場でもある元興寺に、展示された2つの作品を見に行くことも目的にしていた。作家のキムスージャさんは韓国の出身、まさに朝鮮半島より伝えられた瓦作りの技術の結晶とも言える古代瓦が見つめるその場所に、「演繹的なもの」という名のついた作品が置かれた。目に見える瓦を通し、過去より今に至る目に見えない人、モノ、コトをに想いをめぐらしこれがなんたるかを導きだす。絶妙なる作品に、あちこち角度を変えながら黒い卵のような形の「哲学」に向き合った。卵型の舞台は鏡のようになっていて、奈良の空とあたりの景色を映し出していた、単純な言葉でしかないが“ならはほんとうに美しい、ほんまもんの宝庫”これが私の導きだした答え。
話は変わり瓦の起源と紋様について、瓦は本来雨をしのぐためのもの、それだけでなく建造物の風格を保つため、また、まじない的な意味でも使われた。どちらにしてもこうして一千年以上雨風等にさらされながら、建物を、つまりは“人の生活と威厳”を守り抜いていると気づけば、なんとありがたいことか。瓦の仕事には製瓦の技術と、葺く技術の二つが必要であり、いずれも日本独自に発展しているが、その源流は現在の中国、韓国から伝えられたということを再認識しなければ、これらを語ることはできない。
そこで、文学博士であり、生きた古代瓦※に対峙する唯一の研究学者、芦田淳一さんにご自身のまとめられた貴重な資料を頂き、調査現場の法隆寺で直接お話を聞かせて頂いた。
資料によると、『瓦の語源はサンスクリット語の「カパラ」に由来するものであり、その意味は「覆う」とか「頭蓋骨」「陶片」となる。このカパラが中国、朝鮮を経てわが国に至る間に「カワラ」となった。この「カワラ」の起源はきわめて古く、中国では紀元前1000年頃の西周時代に登場している。初期のものは、アールのついた平瓦を上下に組んで葺いていたが、今日奈良の建造物に見られるような本瓦葺きは、紀元前800年頃に登場し、下に平瓦、上に丸瓦を葺く方式。時間の経過とともに大小の変化をつけながら、時は中国六朝時代、仏教の隆盛とともに蓮華紋を用いた軒先瓦が普及、その影響を受けた朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅でそれぞれの文様が発展した。この蓮華紋は、開花した状態の蓮の花を真上から見て図案化したもので、その起源はエジプト・インドにあると言われる。』との事。(一部抜粋)それぞれの古代思想になぞらえながら使われてきた蓮華紋は、日本の仏教においても大変になじみ深い。蓮は泥の中にあって清浄な花を咲かせ、それと同時に実をつける。原因と結果はひとつという仏教の考え“因果具時”の象徴とされた。ナイル、長江の川の流れのように、長い月日の中で発展してきた瓦の文様。ここに三国を超えた交流の証が刻まれていることを忘れてはならない。
 
参考資料
研究資料「古代の瓦作り」芦田淳一著
 
読み
・六国時代 りっこくじだい 
・因果具時 いんがぐじ
 
※注釈
芦田さんの紹介で使用した“生きた古代瓦”との形容は、元興寺のように当時そのままの歴史をもつ瓦が、現役で使われているものを指して勝手につけさせて頂いた。
 

 
 
カルチャーリポーター:森村 恵