カルチャーリポーター
   
 

 

ico-report01非時香果と田道間守の伝説

奈良市尼辻町に全長227mにも及ぶ前方後円墳があり、そのお堀には小島が浮かぶ。
小島は倍塚と言い、古墳に葬られている人や物が埋葬されている場所。第11代垂仁天皇に仕えた家臣、田道間守の墓とされている。その稀有な生涯は、昭和16年頃の国民学校の唱歌にもなっていた「田道間守」に歌われている。
 
1番「香りも高い橘を 積んだお船が今帰る 君の仰せをかしこみて
              萬里の海をまっしぐら 今帰る田道間守 田道間守」
 
2番「おわさぬ君の陵に 泣いて帰らぬ まごころよ 遠い国から積んできた 
              花橘の香とともに 名は香る田道間守 田道間守」
 
田道間守は、垂仁天皇の命により不老長寿の薬とされた「非時香果」を探すため、荒波越えて「常世国」を目指した。「常世国」の所在は、新羅とも中国大陸南岸地帯という説もあり、なかなかリアル。こうもある、「遥か遠く離れた不老不死の仙境と人が考え出した想像上の国である。」と。
ところで田道間守、なんの手がかりもなしに「非時香果」という実を探し当て、持ち帰えらなければならない。足掛け10年の年月をかけたのだが、その見つけ出した際のエピソードが面白い。
旅の途中に出会った何とも妙な光景。それは、年老いたお爺さんを若い娘が叱っており、叱られたお爺さんはエンエンと泣いている。「あなたがこの実を、すっぱいすっぱいと言って食べなかったから、そのような姿になってしまったのよ。」と。実はこの2人は親子で、娘の姿が母であり、お爺さんが息子だった。息子はすっぱくて嫌いなこの実を食べなかったので、一人年老いてしまい悲しくて泣いていたという。
この光景に「ハッ」とした田道間守、すぐさまこれこそが不老不死の妙薬「非時香果」であると気づき持ち帰ったという。残念なのは、やっとの思いで都に帰り着いたのに垂仁天皇はすでに崩御されていたということ。田道間守は陵の前で数日間泣き続け、悲しみの後自害した。悲しい結末ではあったが、その功績が認められか、御陵の堀の小島に葬られたと伝えられている。お堀に倍塚があるのは大変珍しい。
大和西大寺から唐招提寺、薬師寺へ、近鉄電車の車窓から望むことができる。
”永遠に常によい香りを放っている果実”という名をつけた「非時香果」、みかんの仲間の”橘”ではとも言われている。橘はその後の日本の歴史に深く関わり、長寿の縁起ものとして御所等に植えられたり、家紋として使われたりしている。来年の大河ドラマは「おんな城主 直虎」がはじまる、井伊家の家紋「丸に橘」にちなみ大和の橘が採用されたそう。
きっかけとなった取り組みこそ、「なら橘プロジェクト」だった。
田道間守の伝説に由来をもち、2014年より「大和橘」を奈良県内に植樹から育成、活用までおこなっており、奈良の新たなブランドとして活用していくことを目的にしている。
プロジェクトの事務局にもなっている和菓子の老舗店では、日本橘の実を使ったお菓子の研究もされているそうだ。「まだ始まったばかりで、商品化になるにはまだまだです。どうぞ気長にお待ちください。」とのこと。甘いものには目がない私はさっそく
その不老の実の菓子を求めて家から近いこの老舗店に駆けつけたのだったが、残念なことに手に入らず。柑橘だけにほろ苦い結果となった、寄る年波はそう甘くない。
今回のリポートにあたり、野草研究所「ときじく」の佐藤久見子さんに「田道間守と非時香果」、「橘プロジェクト」のお話を伺った。まったく気取りのない方で、お使いになる言葉の一つひとつに知性が光り、本当の優しさと強さを持った自立したステキな女性。人の命は限りあるもの、しかし、“ときじく”の名の由来通り“いつまでも常に薫る人格“を持てば、
”若さと美しさは永遠“のものとなりえるかもしれない。と、佐藤さんの笑顔を見ながら、また語らいの中でうっとりと感じたのだった。
 
・倍塚 ばいちょう
・非時香果 ときじくのかぐのこのみ
・田道間守(古事記では多遅摩毛理、多遅麻毛理) たじまもり 
天日槍の4世と伝えられている。
 

 
 
カルチャーリポーター:森村 恵